前回、マーケティングとしての「強いAI」 を話題にしました。ここで一つ思い出すのは、米マサチューセッツ工科大学(MIT)人工知能研究所(AI Lab)の客員研究員(Visiting Scientist)時代に、“人工知能の父”マービン・ミンスキー博士と恐れ多くも同僚として隣室(2週間ほどは同じ部屋!)で過ごしていた頃の雑談です。
ミンスキー博士曰く、「強いAIを実現する研究者として作ってみたいのは、平日はいろいろ文句言いながらも真面目に仕事をするけれど、休日になると、スケジュールや体調、気分次第では何かやる気が出なくなって、ボーッと一日中フットボールの試合を見て独り言をつぶやいたりするコンピュータだ」。こんな機械の開発に研究予算を出してくれる政府も企業も、いかにも出てこなさそうですね(笑)。
でも、人間そっくりの脳やセンサー、行動器官を備えたロボットが作りたいなら、確かに上記のようにヒトの性質までそっくり真似られるようでなければいけません。「優れた」ところだけ真似するのだけでは駄目。コンピュータはもともと超高速計算や膨大な記憶容量などで最初からヒトの脳より「優れた」ところがあったわけですから、そこを捨てていくような研究開発を行うのが「強いAI」の一面とも言えるでしょう。人口減少時代に、寂しい高齢者のパートナー・ロボットを開発したいならば、まさにそのような人間臭い、癒し系の「強いAI」が必要になってくることでしょう。
「掃除」は知的労働なのか
世間や産業界で騒がれている人工知能(AI)の定義が、何か分からなくなってきた、という向きもいらっしゃると思います。私もときどきそうなりますので、文献を参照して確認することがあります。
「そもそも人工知能(AI)って?
A 人間の知的労働を、コンピュータに処理させるためのソフトウエアやシステムがAIだ。」
――エコノミスト誌、2015.1.27号 p.24 より
「A」と書いてあるのは、「回答」という意味です。「知的労働」というのは紛れもなく、応用課題として解決されるべきタスク(仕事)で、従来人間の知能労働でしかできなかった(とされる)もののことを指しているようです。また、後半の説明では「人間の脳が日常行っている処理」と、急に違う定義に履き違えられてしまう感じがします。いずれにせよ、上の定義は、前半は狭すぎるし、後半は広すぎて、ちょっと違和感があります。
例えば、最も身近に普及したAI応用製品と言われる「ルンバ」などのお掃除ロボットを見てみましょう。ルンバはMITの人工知能研究所所長を務めたロボット工学の権威、Rod Brooks博士の基本設計によるものです。センサーが察知して単純に障害物を避けるだけでなく、部屋の形状や家具の配置の地図を「頭の中」に作成し、無駄の少ない移動法を「考え」、かつ2度と同じところを通過せずに効率よく掃除します。人間でも同じところを(念入りに掃除するのでなく)、間違えて何度か掃いてしまうことがあるのに比べて、賢いかもしれません。また、充電器の位置を自分で探して充電されにいくなど、人間いらずの “自動性”が高まっていると言えます。
それでも、掃除という作業、タスクには変わりありません。部屋の掃除に頭を使う余地は大いにあるとは思いますが、掃除のことを「人間の知的労働」と称する人はまずいないでしょう。お掃除ロボットの普及は、「こんなに考えて動いてくれるなら自動車の自動運転も任せて良いのではないか?」などの発想につながり、一般消費者がAIに肯定的になるのにも大いに貢献しているのではないでしょうか。
自動運転車の目標は「馬」だ!
自動運転車のテストドライブに同乗する人に果たして保険が適用されるか寡聞にして知りませんが、一昔前なら、よほど勇気のある人しかそんな募集には応じなかったのではないでしょうか。おそらく、人工知能型のお掃除ロボットと日常暮らしている人ならば、自動運転車に不安なく乗ってみようと思う率がはるかに高いような気がします。ちなみに、自動車の運転って知的労働なのでしょうか? それを考える手がかりとして、車の運転と乗馬の違いについて少し考えてみ ましょう。
自動車の性能が馬よりも落ちる点として、運転者が寝てしまったら終わり、というのがありました「馬のほうが自動車より賢くて高性能」という見解を初めて聞いたのは、筑波大駒場高校時代に漢文を教えてくれた高井先生がシベリア抑留時代の話をしてくれた時のことです。先生曰く「半分眠ってしまっても隊列の前の人馬に付いていってくれるので全く問題なく目的地に着くことができた。馬は素晴らしい!」と。極寒のシベリアで何度も生死の境をさまよった本人の語りでしたので、強烈な印象でした。
私自身は5鞍しか乗馬の経験がないので到底その境地には至っていませんが、休ませておけば勝手にその辺の草を食べて自動的にエネルギー補給まで済ませてくれる点も車より優れているし、排せつ物は肥やしにこそなれ、排気ガスのように大気汚染で悪さすることがない点も優れていると言えるでしょう。
かように、馬はセンサーと(3歳児並みの)知性を備え、危険を回避し、自動的に安全に目的地まで連れて行ってくれる点で自動車より優れていたわけです。AIはヒトばかりでなく、牛馬、犬猫、クジラなどの哺乳類や、一部のロボット研究者のように昆虫の知性を研究したりすることもあります。そこで、馬の知的能力を自動車に持たせるのが自動運転車の目標であり、これもAIなのだ、と言って良いでしょう。
なお、お掃除ロボットには、あらかじめセットされたランダム、らせん、ジグザグなどのパターン通りに動くのが基本で、壁や家具にぶつかったときの方向転換の向きも一定、何度も通るうちにそのうち床全体がカバーされるでしょうという程度の、知性のかけらもないものもあります。このサイトでは4種類ほどに分類されていて、具体的な製品名があるので、製品選びに役立ちそうです。また、「必ずしも賢い自走式掃除機ばかりが、部屋を(低コストで)きれいにするという大目的にかなうとは限らない。2度拭きでよく汚れが落ちることもあるので。」などと理由付きで指摘している点、今後の「弱いAI」応用製品の設計思想を考える際に考慮すべきチェックポイントの1つとなりそうです。人間の場合も、賢い人ばかりが「使いやすい」とか「使って(互いに)快適」とは限らない、のと似ているかどうかまでは分かりませんが。
弱いAI の市場が花盛りとなる気配
前節の記述は、ちょっとエコノミスト誌に意地悪だったかもしれません。ヒトの能力が実に多岐にわたり、汎用的であるように、機械にできることも実に多彩であり、タスクによっては、コンピュータの誕生以来、コンピュータの方がヒトより得意なものもたくさんあります。
AI活用と称するには、何らかの知性を感じさせる作りになっていること。それは、ある種の「学習」だったり、単純な履歴データ活用を超えた「予測」だったり、もっと別種の知性の発揮だったりする。このあたり、個別に「何が新しくできるようになったか」精査する必要があります。安易に、「人間にしかできなかったことができるようになった。だからAIだ。」などとは言うべきではないでしょう。何も定義や切り分けができていないところへ「何にどれだけ役に立つのか」を評価することがますます難しくなってしまう危険があるからです。
何か賢く「考えている」かの機能要素、原理により、従来は想定外だった水準の自動化率で、人手の仕事(知的労働に限りません)を代替し、省力化したり、人間以上のスピードや仕事量、仕事の質の高さを達成したものが人工知能応用システムと呼ばれるに値するのではないでしょうか。この意味で、エコノミスト誌2015.1.27号p.25以下の本題にある、「自動運転・AI・ロボットで注目の銘柄76社」はいいところを突いていると思います。
残念ながら、まだ、私の会社・メタデータ社はこのリストに入っていませんが、近く、顧客の声(VoC=Voice of Customers)を分析するのに人間技では不可能だった膨大な意味抽出や、機械学習による自由テキスト記述の全自動分類などを新規搭載した製品を発表します。どうかご期待ください!
76社の内訳ですが、3つの大分類のうち、自動運転を担う有望企業として、以下がリストアップされています:
- 関連部品のメガサプライヤー3社(デンソー、日立、コンチネンタル)
- 運転支援関連3社(日本電産、日信工業、アイシン精機)〜自動ブレーキや自動パーキング
- 交通情報関連1社(住友電工)〜路上センサー情報から信号機の制御など
- 車載半導体関連4社(ディジタルメディアプロフェッショナル、ルネサスエレクトロニクス、ザインエレクトロニクス、インフィニオン・テクノロジーイズ(独))
- センサー8社(ソニー、アルプス電気、イリソ電子、オプテックス、日本セラミック、浜松ホトニクス、村田製作所、インターアクション)〜画像センサ、赤外線センサ、加速度センサ等
- ソフトウエア4社(モービルアイ(蘭)他)〜立体動画解析、人工視覚他
- 通信機器3社(OKI他)〜車車間通信他
- カーナビ・地図関連2社(JVCケンウッド、クラリオン)〜クラリオンはGoogleカーナビに地図情報を提供
- 入力・装置関連3社(アルパイン他)〜空中に画像を投影したり次世代タッチパネル、アップルの車載プラットフォーム「カープレイ」を手掛ける
- 電子部品・半導体商社3社(ルネサスイーストン他)
- 開発ツール1社(ZMP)〜AIを駆使した自動運転開発ツール「ロボカー」を販売。
この他、自動運転と並ぶAIに大分類された訴訟支援(UBIC)、音声認識(アドバンストメディア)、コミュニケーションロボット(富士ソフト)、自動運転(ZMP)(物流ロボ「キャリロ」発売へ。マミヤOPの芝刈り機にもAIを供給)が挙げられています。
ロボットという3つ目の大分類には、日本のお家芸、伝統の産業用ロボット14社に加え、新市場のサービスロボットが15社も(ホンダ、サイバーダイン、菊池製作所、パナソニック、セック、ソフトバンク、やまびこ、今仙電機、トヨタ、シャープ、大和ハウス、東芝(お掃除)、三菱重工(廃炉用)、グーグル、アイロボット(お掃除))、挙げられています。他に、ロボット用モーター、減速機、直動システム、センサー、建設機械の自動制御という分類に1〜3社が名を連ねています。
次世代カー、自動運転車というと、「トヨタ対グーグル」などと、異業界の両雄一騎打ち、と揶揄されがちですが、幅広く産業全体を変革していくイメージが上記リストからだけでも浮かび上がってくるかと思います。非常に健全な、「弱いAI」の市場開拓の動きであり、ハードウエアやきめ細かな動き制御といった、日本企業が得意な領域でもありますので、個人的にも注目、応援しています。
“メタファの暴走”にご注意
弱いAIの研究開発については、その性能の評価基準も多くの場合、明確なので、安心してその加速ぶりを眺めていくことができます。一方、先ほどのAIの定義に絡めて、「人間にしかできなかったことができるようになった」という言い方と同様、「人間のように仕事をするコンピュータ」という言い方も要注意です。
以前のAIブームの時にも「人間がやるように何々ができるコンピュータプログラム」という言い方も流行りました。 中には、「人間がやるように形態素解析(分かち書き+品詞付与)をするプログラム」と堂々とうたった論文発表もあり、仰天した記憶があります。
ヒトは、文章を読む際に「ここは動詞で始まる文節の切れ目で、その後に副助詞『も』、活用語尾、完了の助動詞が付いている」など考えながら、文を単語列に分解しているものでしょうか? 全部の単語について、分かち書きをちゃんと(機械がやるように)やっているのかも疑わしいし、品詞付与にいたっては、単語に品詞名を付与しながら母国語を聴いて理解している人など一人もいない、と断言して良いからです。学校で文法を教わっていない幼児なら「品詞ってなぁに?」と聞きますよね? 形態素解析というタスクはヒトの生得的能力とは随分違います。
このようなエピソードなら、「研究者ってヘンね」と笑って済ませられるかもしれません。しかし、「知能」、「学習」、「予測」ということばが独り歩きし、知らず知らずのうちにユーザーに誤解を与えるとしたらそれは危険です。人間が幅広い教養と人徳を踏まえて知性を発揮したり、複雑高度な知識をその場で創造しつつ未知の問題を解決するような能力を学んだり、独創的な新経済理論を発案することで2025年の国際情勢を予測する、などの能力と混同されては困ります。これらは、「知能」、「学習」、「予測」などのことばが独り歩きしたことによる、メタファの暴走なのです。
そもそも自動処理、自動で何かができる、というのはどういうことでしょうか? 蒸気機関の発明以来、いや、それ以前の、風車や水車の時代から、人力や牛馬の筋肉によらずに製粉や灌漑ができたり、人や物を動かしたりできるようになっています。梃子の原理で人力を拡大する装置でも、その動力源を見せなければ、「自動的に」動いているようにみえます。
「人工頭脳」の中枢には蒸気機関が…
重力が動力源の面白い装置はピタゴラ装置ですね。自動的、自律的に見えるから面白い。風力が動力源で、本当に生き物のように見えてしまう、ストランド・ビーストというのもあります。
無声SF映画「メトロポリス」をご存知でしょうか?
マルクス主義が盛んだった時代に、制作年代1926年から100年後の2026年の未来都市は、一握りの支配者階級と、大多数の労働者階級に分かれ、主人公マリアが豹変して機械に支配された代弁者になってしまうくだり。そして暴かれた機械制御の中枢には、蒸気機関があり、すべての機械を制御していたのです。人工頭脳の象徴が、その当時の主力の自動機械だった蒸気機関であったことは大変示唆的なエピソードです。
すなわち、それ以後も、その時代、時代の最先端の自動機械が比喩(メタファ)、象徴(メトニミ)として使われ、人の頭脳にすぐにでも取って代わるかのようなイメージを与えるようになるだろう、と示唆されたのであります。現在のコンピュータは、ディープラーニングなどのソフトウエアを載せたものも含め、ほとんど全部がプログラム格納方式、別名ノイマン型コンピュータです。これは、「0」(ゼロ)と「1」(イチ)の列を入力されたものが一部はデータとして、残りは制御を進め、切り替える「命令」として扱われ、粛々と機械的に、スイッチや、パチンコ台、そしてピタゴラ装置と同様に、厳密に「0」「1」の列の指示通りに動作する機械です。違いは、大規模、超高速に動作する点だけ、といっても良いでしょう。
コンピュータには何らかのデータ保存装置があるので(紙テープやパンチカードも含め!)、そこにデータがある程度自動的に取り込まれたことをもって「学習」とか「記憶」と呼んでしまい、また勝手に妄想を膨らませる人もいるでしょう。ここにも「メタファの暴走」の罠がすぐそこに、ぱっくり大口を開けて待っています。さすがに、ハードディスクやUSBメモリにデータを保存しただけのことを「学習」と捉える人はいないでしょうが、プログラムの前回の実行履歴(ディスク装置に「記憶」されています)が自動で呼び出されただけで、「おー、学習機能があるのか、気が利いている」と感じる人は少なくないと思います。
どんなコンピュータプログラムでも何か自動で動き、何がしかは賢く、あたかも自律的に動いているかに見えても不思議はない。これはコンピュータの誕生当初から、そう、半導体以前の真空管、あるいは天才・池田敏雄氏らが開発したFACOM-100のようなリレーを多数使った機械式コンピュータの時代から、どんなプログラムでも自動で、賢そうにふるまうことはできたという当然のことを意味します。「人工知能搭載だから賢い」というのもその内容、すなわち情報処理機械としての入出力と内部処理の仕様が具体的に定義されていなければ、自動処理機械だから自動で処理している、という同義反復しているような無意味な言説です。ジャーナリズムとしては控えるべきではないでしょうか。
少し長くなりましたので、次回は、新世代の人工知能らしい「学習」とは何かについて、仮名漢字変換から、人工知能分野とは少し違う領域の研究者が取り組んでいた機械学習について、また、最適化のタスクや、そのためのビッグデータのモデル化などに触れてみたいと思います。