前回、既存知識がほとんど無料になった時代の象徴として、米マサチューセッツ工科大学(MIT)が最初に無償公開を始めたOCW(オープンコースウェア)と、米スタンフォード大学のコーセラ(Coursera)の話題を取り上げました。OCWが元祖で老舗ながらも、文脈からはeラーニングとしては古臭いかのような印象を与えたかもしれず、最新の取り組みの方もご紹介しておかないとフェアじゃないな、と思っていたちょうど良いタイミングで、友人である宮川繁教授(MIT および東大)が寄稿した記事が日本経済新聞に掲載されました。
『東大、米大学とネット提供 講義公開で「知の革命」 宮川繁 マサチューセッツ工科大学教授(東京大学特任教授) MIT、月に140万人 思考も国境越える』2014/9/15付 日本経済新聞 朝刊
スタンフォード発のコーセラの刺激は当然あったと思いますが、固有名詞としてのコーセラを包含する普遍的なシステムであるムーク(MOOC:Massive Open Online Course=大規模公開オンライン講座)の立ち上げにMITとハーバードというボストンの2校、それに宮川教授が兼務で取り持つ東京大学が加わって、知の世界の体験を大規模に地球上に広めようとしています。
私は、OCWを提案した検討委員会の当初メンバーで、数年間OCW教員諮問委員会議長を務めたが、なぜMITは全教材の無償公開を始めたのかとよく聞かれた。
その時いつも紹介したのは「お金は分けると減るが、知識は分けると増える」という、MITのチャールズ・ベスト前学長のことばだ。オープン・エデュケーションの理念はここに尽くされる。ムークやOCWなどを通じてオープン・エデュケーションを行うことは、実は大学のミッションを具体的な形で実行することであり、だからこそこれだけの支持を集めたのだ。― Prof. Shigeru Miyagawa(MIT & Univ. of Tokyo)
私が1993年から94年にかけてMITにお世話になっていたときの学長がベスト教授でした。「お金は分けると減るが、知識は分けると増える」という言葉は懐かしさとともに、さもありなん、という気がいたします。これまでの連載でも触れましたが、知識を囲い込んで(実は公開されている情報に過ぎないのに売り込み相手にだけは隠して)“チラ見せ体験”を割引販売する情報商材のようなビジネスが、いかに不自然でゆがんだものであるかまで言い尽くしていると思います。
与えよ、さらば、与えられん。
お金を頂戴できるのは、個別の問題解決にまで踏み込んだり、そのためのツール、整備済みのデータを提供して初めてその対価が発生する、と考えて良いように思います。
整備済みのビッグデータを背景に持つGoogle Maps
さて、ビッグデータなんて日ごろ縁がない、見たことも聞いたこともないとおっしゃる人も、知らず知らずのうちにビッグプレーヤーたちが提供するビッグデータのお世話になっている、と言われたら驚かれるでしょうか。
ウェブで何かの施設の場所や、企業の地図を調べたことがある人なら1度は使ったことがあるGoogle Maps。と言えば「なーんだ!」という反応の方がほとんどと思います。
ふと、「日経 野村直之 Google Maps」の3語で検索してみたところ、8年前に執筆したこんなページが見つかりました。
「Google Maps for Enterpriseに見るGoogleらしさ」
2005年のこと、対話的で消費者が発信するウェブといわれたWeb2.0が企業情報システムにも浸透すると予言したら、不謹慎極まりない!とお叱りを受けましたが、12月に世界で初めて、メタデータ社の当時のウェブサイトに“Web2.0 for Enterprise”という言葉を載せました。それから半年ばかり後に書いた上記の記事は、私の予想通り“Google Maps for Enterprise”が登場したけれども、ビジネスモデルは労働集約型のサポートサービスとなり、到底Adwordsのような高収益のマネタイズは難しいだろうと示唆したものです。
あれから8年も経ちますが、有料アプリとしてのGoogleAppsが広告事業にとって代わり得るようになったようには見えず、Microsoft Officeを脅かしつつも消耗戦になっているだけではないか、というようにも見えます。であれば「Googleらしさ」を失ってでもソフトウエア(SaaS、クラウドサービス)の利用から直接収益を上げる方向へ舵を切れば良いのに、などと思ったりします。
「破壊者Googleへの恐怖」を語る切り口で言えば、従来のシステム・インテグレーションを、エンタープライズ・マッシュアップによって大幅に簡便化し、価格破壊を起こしつつある、と言うこともできます。このようにみれば、決して小さな出来事ではなく、IT業界(特に日本のIT業界)の体質転換を迫る歴史的事件、とさえ言えるかもしれません。
しかし、この体質転換は、IT業界にとっても良いことであり、もちろん、ユーザー企業にとっても歓迎すべきことである、と考えています。次回以降、この観点で、今後の企業情報システムのあり方について考察してまいります。――野村直之(2006年8月)
「価格破壊」については、当時ベストセラーになった梅田望夫さんの「ウェブ進化論」のエピソードが印象的でした。彼が社外取締役を務めていたNECの役員会で、Google Mapsに桜前線をオーバーラップさせたウェブアプリのデモ版を見せ、開発費用を他の役員さんたちに当てさせた時のことです。ある役員が「5億円!」と言ったのに対して、梅田さんは「一人のマッシュアップ技術者の3日分の人件費と機材使用料入れて13万円位」と答えたという趣旨の話が紹介されていました。
マッシュアップとは、既に世の中にあるプログラミング素材であるAPIを使うことで、数行のコードを書くだけで容易にアプリケーションを作れる、一種の破壊的なプログラミングの流儀です。マッシュアップ・プログラミングのコンテストも10回目。メタデータ社の関わりも10年目で、8回連続でプログラミング素材としてのAPIを提供しています。
ちなみに今年は10月24日の締め切りまで十分時間がありますので、皆様ぜひ「願望検索(したいこと検索)」、「ネガポジAPI」、「感情解析API」、「5W1H抽出API」などのテキスト解析APIを使って、お手持ちのデータを解析して引き出した価値にアイデアをまぶし、面白くも有用なアプリを開発してみてください!企画専門、アイデアソンへのご参加も歓迎です。
Google Mapsのマッシュアップはまぎれもなく、背後に備わった整備済みのビッグデータを素早く、極めて低コストで活用する手法として、この8年間ですっかり定着したと言えるでしょう。世界最大のAPI情報ポータルであるProgrammable Webには、2014年9月15日現在で2550のマッシュアップ・アプリが登録されています。さまざまな応用事例、アイデアのバリエーションを辿ってみることができます。
2006年初め、ITベンチャーを起業した直後の私は20、30とビジネスプランの草稿を書いても、どれもグーグルが物量にモノを言わせた無料サービスで蹴散らしてきそうで、夜中に恐怖で冷や汗かいて飛び起きるような日々でした。そんな中、知人が1000人以上いる企業情報システムの世界で、いち早くGoogle Maps/Appsを足掛かりに健全な価格破壊と利便性の提供、短期間、低コストでシステムを入れ替えられる体質にすべしと書いて発表したのは、自分のことを棚に上げていたようで赤面ものですが、少々早過ぎたこの提言は大きくは間違っていなかったのではないでしょうか。
既存のカーナビを優に駆逐しつつあるGoogle Maps
ビジネス的なコメントは以上にして、Google Mapsの中身を見ると、ついに日本独自のハードウエア一体型ITの雄だったカーナビを滅ぼしかねないほどにまで成長しました。
週末にレンタカーを借りましたが、オプションのカーナビは付けずに、その位置にNexus5を立てかけて、Google Mapsによるナビをずっと起動させておきました。
1度使えば分かりますが、これで十分です。視力にハンディのある人ならば、無線ルーターと、7インチから9インチ位のAndroid Padを持ち込めば良いでしょう。
以前所有していた(文字通りの炎上で壊れた)10万円ほどの専用カーナビと比べて、恐ろしいほどきめ細かく高精度です。5メートルも狂うことなく、実に正確に現在位置をトレースしてきます。Quad Core 2.26GHz、メモリ2GBというパワーにも助けられていますが、何よりもクラウド側に、専用カーナビのDVD1枚程度の容量では到底太刀打ちできない膨大なデータが常に最新の状況に合わせて更新されているのだから、勝負にならないことは最初から―――そう、よーく考えていれば、8年前から分かっていたのではないでしょうか。
今回からは「データと対話」の延長として、それをAPIやウェブアプリという形で使いやすくされたものを低廉に誰もが活用できる、というスタンスに移りました。ウェブアプリといえば、膨大な個人属性や企業情報等を擁するフェイスブックの広告出稿画面を使って、従来では考えられなかった精緻なマーケティングを実施できるようになったことに触れなければなりません。次回以降、生データ、ビッグデータと対話しながら、自分の事業のターゲットを絞り込み、より精緻にシフトするというのはどういうことか、具体例を通じて示してまいりたいと思います。